ネットで稼いだ金でMacBookを買いたいダメンズ

kokotakeのブログ

ダメンズがネットでお金を稼いでMacBookを買う話

〜人生のレール〜結局のところ…前編

季節の変わり目で体調を崩して、

家に一日中いた今日、Netflixを見たりネットサーフィンをしたりTwitterをみたりと、相変わらず怠惰な生活を送っていて柄にもなく自炊でもしようかと、ふと冷蔵庫を開けたところ調味料が塩とグラニュー糖、マヨネーズにそれから賞味期限ギリギリのケチャップ、ほんダシくらいしかなくて(書き出してみると意外とあったな)、仕方なく重い腰を上げて外に出て買い物に行った。夕方のスーパーは主婦で溢れていた。買い物が終わり外に出ると雨が降っていた。

傘を忘れた俺はびしょびしょになりながら帰った。雨に打たれると、人は自分の人生を見つめ直すのかもしれない。高校生の時にも同じようなことがあったことを思い出し哀愁とも呼ぶべき何とも言えない感情が襲ってきた。ネットで稼ぐと息巻いて、色々始めようとしたのも、自分の学歴コンプレックスを脱け出せなかったからのことなのかもしれない。学歴に囚われない生き方。今の日本の社会では低学歴故に不遇な扱いを受けるという話は商社マンの父から何度も何度も聞かされていた。それがトラウマとなってコンプレックスを拗らせに拗らせたのかもしれない。

ネットに手を出し始めたのは高校生の頃かもしれない。ソシャゲにハマっていた時にマイナーなゲームを共にする仲間が欲しくて始めたのがきっかけだ。仲の良かった友達にも、勧めたみたが自分の周りの人間には俺がハマっていた人間には自分の趣味はハマらなかったのかもしれない。この時にふと、周りと自分のやりたいことが周りとは違いそれが悪い意味であることに気付いていたのかもしれない。結局、自分の熱中するものは、実生活、特に社会的に評価されるようなものではなくデメリットになり得ない、私の場合は実害をもって(成績を下げるという意味で)示してくれた。自分と周りの差を感じたくなくて、それでも周りは自分を排除することなく共にバカをやってくれた。それはとても楽しくて今でもいい友達だと思っている。この時も悪い癖が働き彼らの本心を探ろうとしてしまう癖があるのは彼らにバレているのかもしれない。とても失礼だがそれすらも理解してくれる奴らに何とお礼を言ったらいいかわからない。こんな俺でも彼らの事だけは誇れる。誇れるが故に自分との経歴、人格が眩しいときがある。今はまだ大学生という身分に甘え、親の仕送りに甘えているから、それほどでもないが就職して…とこれからのライフプランに自分は不安でしかない。これから勝者として他人に誇れるようなライフスタイルを手に入れる彼らとその日暮をするような自分…それにコンプレックスがある。今まで誇れていた友達でさえも失ってしまうのではないかと思ってしまう。

学歴という、社会的に評価の基準として大きな割合をしめすもので差をつけられない、いわゆる技術者になるしかないと思った。そこでの仕上がるために何をすべきか、副業をするためのステップとしてネットで稼ぐという記事を書いてみたりもした。成功者のYouTube動画や書籍も読んで行動してみた。しかし…結局のところ一度は社会に出るのではないか。既に副業で〜と書いている時点で社会に出る。結局のところ自分はプライドは高く下級階層に身を置きたくはないと思っているが、自分の能力は伴っておらず、中途半端な知識と妄想だけが膨らみ苦しんでいる。優柔不断で俯瞰的に物を見て自分は周りとは違うとネットで息巻いている悲しいオタクだ。

幸せってなんだろうと自分の中で考えてみた。大学を卒業したら働くのが当たり前となっている今の社会の"常識"に異議を唱えてみる。大学はそもそも就職予備校では無い、学問を探究する場である。それが今では構内に就活支援のポスターが貼ってあったりと大学に何をしに行っているのだと思うのも日常茶飯事だ。高校生の時に学んだことの復讐のような授業と、それすらも理解のできない周りの生徒たち自分がここまで落ちたのかと情けなくなる。それは就職も学校が大々的に支援して就職率を上げなくては大学産業に遅れをとってしまうからなのだろう。大学の教師達は勝ち組で、バカな子供を持った親達から高い授業料を取り立てている。大卒という資格を取るためだけにきている生徒達がほとんどなので向上心すら感じられない世界で自分が切磋琢磨できるライバルを見つけることすら難しく学内より学外の高校同期に興味が湧くのは当然のことと言えば当然である。

そのジレンマを解消するためにできることを今日からしたいと思う。今まで捨てきれなかったプライドとゲームという意味をなさない趣味を捨てる。どうせ無理だろうという考えは捨てたい。なぜならここまでの長文で自分のことを顧みたことは今までになかったからだ。自己分析にはちょうどいい機会であった。自分磨き、向上のため立派な地位獲得のために自分に何ができるか、そしてどうしたら幸せになれるのか。

 

おっと幸せについて言及し忘れてしまった。

幸せについてはまた次の機会にでもしようと思う。

自分の成長を見届けて欲しい。光の当たらない自分の人生に光を当てたい。

 

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